2009年6月29日月曜日

『フラット化する世界』の1行コメント

『フラット化する世界』 トーマス・フリードマン著

自分のコメントは、1行でまとめてみます。

「フラットな世界では、企業の立場からすると、ベーシックなもの
--アイスクリームでいえばバニラ--には未来がない。
ソフトウェアでもその他の分野でも、バニラ製造はオープンソース・コミュニティにシフトしてしまった。
どんな企業でも将来的に利益をあげられるのは、こってりしたチョコレート・ソース、とろけるように甘いふんわりしたホイップ・クリーム、ジューシーなチェリーから、すてきなサンデーをこしらえる技術なのだ。(p.155) 」

→バニラ単品も悪くないけど、フラットな世界で競合できるのは、サンデーですね。


「だから、ママもパパも、大学を出た息子か娘がある日電話をかけてきて、「検索エンジン最適化技術者(optimizer)になるつもりだ」といっても、驚かないでほしい。親はついこんなことをいってしまうだろう。「ちょっと待ってよ。大学に医者か弁護士になってもらうためよ!検索エンジンのオプティマイザーって、何それ?ルーイおじさんみたいなオフサロモロジスト(ophthalmologist ;眼科医)になればいいじゃないの」でも、そんな言葉に屈してはいけない。検索エンジン・オプティマイザーは、フラットな世界で誕生した新しい専門職なのだ。 」

→うちも同じ環境ですが、親は子供の主張を受け入れて応援してくれました。

2009年6月28日日曜日

「英語ができるようになりたい!!」

「英語ができるようになりたい」という思いは、多くの日本人・韓国人にみられます。
宇多田ヒカルを始め、バイリンガルな歌手はカッコイイと映り、
帰国子女なニュースキャスターは、純日本育ちなアナウンサーより、華やかに映るようです。
英語ができると、イメージが華やかになり、付加価値が上がるようです。

バイリンガルを専門にしてきたということもあり、次のような質問を、よく受けます。

①「どうしたら英語ができるようになりますか?」
②「スピードラーニングや、1000時間ヒアリングマラソンのような商品は、本当に効果があるのか?」

簡単に答えます。

①に関して。
インプットが多ければ多いほど、アウトプットする機会が多いほど、力はついてきます。時間はかかります。

②に関して。
効果はありません。

②のほうは、石川遼君のように、「スピードラーニングをやったら、英語力がつきました」という人もいるかもしれません。
しかし、石川遼君の場合、彼が広告塔に使われているので、いいサンプルではないなぁ。

ちなみに、「聴く」ことは、あくまでもステップであって、赤ちゃんだって、聴いてるだけで喋れるようになったわけではないんですよ。
共同注意(joint attention)とか、色々とinteractionがあって、子供は覚えていくので、
親の言葉を一方向的に聴いてるだけではないんですね。

英語習得に関する研究は多いけれど、「こうすれば英語ができる!!」という虎の巻はまだありません。
科学的に証明しようとするには、変数が多いから。

私が憂うのは、
「英語ができるようになりたい!!」という思いは、悲しいかな、時に、「英語をマスターできるようになりますよ!!」という勧誘に使われることがあります。

ある日、吉祥寺駅の本屋に入ろうとしたら、英会話学校の勧誘行為をしていた女の人に、呼び止められました。
ちょうど、渡米する直前でした。英語習得関係の研究に興味をもっていたので、ふと、立ち止まったんですね。

その勧誘女性は、私に、こういいました。

「英語できるようになりたいですよね?」

私はこういいました。「英語できますよ」

彼女は、手持ちのCD教材を買わせたいわけです。「英語できる」とかわしたカモ(私)にも、食いつきます。

「でも、不安ありますよね?これから留学されるんですか?○○は、ラド博士の~~~(中略)。英語ができないと不安じゃないですか?」

キターーー”不安”煽り。

ここは、今後、カモになる人を減らすために、私は主張すべきだと思い、勇気を出していいました。

「正式に留学もしてるんで。それより、ラドの応用言語学をベースにしてるんですか、これ?何を基にして教材開発してるんですか?私、研究してるんです。その、サンプルCDだけもらっていいですか?」

皆さん、カモになっちゃだめですよ。

2009年6月26日金曜日

進学か就職か?

先日、大学院進学を希望する人と、お話する機会がありました。

そこで、「進学か就職か?」の相談を受けました。よくある話です。
この問い、今なおありふれた問題のようで、日本の最高学府の人文系では、スルーされてる場合も多いです。
ですが、人生がかかっている問いでもあります。

端的にいえば、「10年後振り返った時に、後悔しない生き方をしよう」です。私からの回答は。

大学院に行って、もう少し勉強がしたい、と思った向学心を抑えて、 22~23歳から仕事に費やすことで、
他人が大学院進学をしたり、社内に院卒の人をみるたびに、
いいなぁ・・・とうらやましく思ってしまうのであれば、
その心理の答えは、やっぱり進学したい、ということなのでしょう。

修士卒でも、本人次第では、大企業に就職できるでしょう。

ただ、その子もいっていたけれど、
たしかに、就職したいなら、学部卒で臨んだほうが内定率はいいかもしれません。
「人文系 院卒 女子」の時点で、就活ハードルは上がります。
専門職大学院出身とか、企業が使いたい資格をもってるならともかく、
たとえば、「英語を学びました」とかだけなら、アウトになる。
「シェイクスピアを読み続けました」とかも。
一般社会で、2年間エクストラに英語を学ぶだけなんて、あるいは英語小説を読み続けるなんて、趣味の世界なんですよ。
それだけじゃ、説得できない。

Whyの部分を追求できないと、理由になる実績がないと、「人文系・院卒・女子」は、厳しいんだと思います。
数字でみえる利益を、追っていく学問領域ではないので、
会計学専攻で英語ができる人と、英文学の人が、就活で同じ土俵に立たされると、そういう人よりも自分のほうができるというアピールをもってないといけないわけでしょう。

ここらへんを、真剣に考えたほうがいいと思うなぁ。
大学院進学希望の人たちは。
その中で、特に、働くことも人生選択に入っている人たちは。

「でも女の子だから、別に、長期で働くとも限らないし」とか、
「いざとなれば主婦になればいい」っていうマインドは、進路選択のときは捨てるべき。
そういう道も、確かにあるし、それもいいと思うけど、
ただ、"think about your life"の時は、消去法ではなくて、
自分が、10年後をふりかえったときに、後悔しない生き方をすべきじゃないかな。

2009年6月25日木曜日

ブランドが好きだからなんなのよ!

文化論で卒論を書こう!って今頑張っている学部生の子とお話する機会がありました。
卒業に向けてがんばるのだぞー(以上、激励であります)。

なんでも「日本人とブランド嗜好」について、階層・階級意識を交え考察する計画だそうです。
若干、階層と階級の定義を間違っていたりもしましたが、
(彼女曰く「日本は階層社会じゃない!!」。・・・うーむ。)
なぜ日本人がブランドを海外で買いあさるのか考えるのは面白い試みだと思います。
テーマは現代文化論の中でも古典的とも言えますが、だからと言って色褪せてるテーマではありません。

補足ついでにどーでもいいんですけど階層と階級は相補分布的な概念じゃなくて、両立も可です。
階層社会かつ階級社会もありえます。さぁ、どんな社会か考えてみてください(暇人オンリーで)。

上のテーマに関して、いつだったかに新書か何かで、
金で貴族のイコンとも言えるブランドを買うことに抵抗のない日本人は何てオープンなんだ!
という賛辞と、
身分もわきまえず買いあさる日本人、ミットモナイ!
という批判を拙読した記憶があります。
後者はマークス寿子さんで、
彼女の説は若干(1,000枚ほどオブラードに包んで言いいます)分析が怪しいのですが・・・。
Google Scholarや各種データベースを散見してみたのですが、
実証分析(この場合はブランド品購入の行動分析になるのでしょうか)はないようです。
だれかやってください!!

2009年6月23日火曜日

まずは訊き方から学びましょう

これは自戒も含めた雑記であります。
読むの付き合ってくれた方には
"インテリジェントにデザインされた(ID)通貨100万ドル"差し上げます。
ちなみに僕は空飛ぶスパゲッティー教信者です。

ある先日、質問を受けました。
「"there was no interaction"ってどういう意味ですか?」
と。

その時のマイ思考
1."there was no interaction"の訳を知りたいのか?
2.interactionがこの場合なにを指すのか知りたいのか?
3.それとも他の何か別の意図が??

訪ねてきたのは院生だったので、1はまぁ、ないでしょう。
3はどうなんでしょうか。2に比べれば低そうです。
とすると、彼女が読んでたもの(論文と思わしき紙製の何か)に
"there was no interaction"とあって、それがどんな意味なのか知りたいってとこでしょうね。
きっと「そこに関係性はみられなかった」とでも訳せたものの、
「関係性」とは一体なんなのか分らなかったのだと思います。

でも、interaction of what??
interaction among people, social interaction, interaction between variables・・・
インテラクションって色々意味あるし・・・。
さすがに焦りました・・・。
なんちゅー質問の仕方だ・・・。

せめて
1.コンテキスト:何を読んでいるのか「基本情報」(ちなみに上の例は統計用語のinteractionでした)
2.質問の意図:何を知りたいのか(訳してほしいのか、解説してほしいのか等)
3.相手の知能:天才でもエスパーでも宇宙人でもないって・・・
を相手に明らかにした上で質問しないと。
あっ、3番目は「あんた馬鹿だけど、こんくらい分ると思って質問したよ」
とか言われるとショックでマジ寝込みなので、心の中でそっと
「この人に聞けばわかるんじゃね!?」とか思っておけばOK。
「あなたなら助けてくれると思ったんです~。ウルウル」
と言っていただければ大概の漢(おとこ)は落ちると思います。(体験談)

ちなみに最後の
4.相手の性格:質問すると鼻で笑うか、マジで親身になってくれるか
は最も重要なファクターであります。
鼻で笑われたら、まぁ、その時は「あいつマジKY(キモい、ヤなヤツ)」とでも認識しといて
wikipediaでも読みましょう。

2009年6月20日土曜日

外国人、そして平均賃金

ある日の某N経済新聞(まぁ、つまり日経なのですが)の朝刊に
外国人労働者数の数と地域全体の平均賃金には
相関関係があるというコラム&データが載ってました。

曰く、外国人労働者数が多いと、その地域の平均賃金が高いそうです。
つまり、外国人を積極的に労働者として招くことによって
外国人による労働力と消費力の供給が増し、地域の活性が進み、
平均賃金が高くなり、さらに地域の活性が進むという図式です。
(細かい個所はうろ覚えなので、ひょっとするとマイナーに違うかも・・・)

さらに、議論は続きます。
この図式によれば外国人が地域の平均賃金を高める因果関係があるのだ!!
さぁ、日本国よ、移民労働者を招こう!!
らしいです。



えっ!!!
なんて素敵な図式(はぁと)&なんて素敵な論理展開!!
僕みたいな外国人(太平洋某小国家出身)には喜ばしい社会理論です。
「外国人福の神理論」と名付けます。


・・・パオロ=マッツァリーノ氏が日頃指摘されている
「統計漫談」がリアルタイムで拝読できました。

まず、そもそも
1)相関関係と因果関係って別モノだよ(涙)
だって、体力と年齢にはかなり高い相関関係(この場合は負の関係)があると予測されます。
30歳くらいと体力って下がるから、年齢によってある程度体力の度合いって測れますね。
きっと、30歳くらいなら100M走ってもこむら返り起こさないだろうけど、
100歳の人にそんな事課そうものならあの世行きです。
つまり、体力が下がると年齢が上がるのだ!!
・・・違いますよね。年齢が上がると体力が下がるのです。
年齢が体力の低下に影響を与えると考える方が自然です。
言いたいのはですね、相関があるからって因果とは限らないんです。
「外国人と賃金」だって、賃金が高いところに外国人が集中して住む可能性があります。
賃金が高い仕事が多い場所→外国人には魅力的な場所→外国人殺到→外国人率上昇
てな図式もあるわけです。(てゆーか、この図式の方がもっともらしい気が・・・)

2)擬似相関の可能性
ある事象Aと別の事象Bが同時に伸びる(つまり見た目的には相関関係)があったとしても、
ひょっとしたらさらに別の事象Cが相関関係に絡んでいる可能性があります。
例えば、見た目的にはビールの売り上げと海外旅行に行く人の数には相関関係があります。
試しにビールの売り上げが最も高い月と低い月を見てみてください。
海外旅行者数と一致しています(どちらも最高が8月、最低が2月)。
でも、これって「シーズン」が絡んでるんです。
つまり、たまたまなんですけど日本では最もビールの売れる8月(暑いから)にお盆や長期休暇があって、みんな海外に行くだけなんです。
ビールの売り上げが増すと同時に海外旅行者が増えるのは偶然であって、
それには「シーズン」っていう別の変数があります。
ビールのおいしいシーズン→暑い時(もっというと暑い&雨降らない→8月→ビール売れる
海外旅行なシーズン→長期休暇がある→8月→海外旅行に行く
見た目的にはビールの売り上げと海外旅行者数には何らかの関係があったとしても、
統計的には相関関係はないと・・・。
「外国人福の神理論」も、擬似相関の可能性も十分にあるわけなんです。
その可能性を排除しないうちに因果関係に結びつけるとは、
おおっと、ヤバさ100倍だぜ。

新聞の統計の使い方には気をつけて読みましょう、というお話でした。

2009年6月15日月曜日

『フラット化した世界』

『フラット化した世界』の下巻、完読。

すると睡魔におそわれて…(以下略

夢の中で、私は、"the world is flat"な現場を生きていました。

夢じゃなくても、現実でも、私の生活は、相当フラット化です。

日米大学院同時留学→両方で同時期修士号取得、という、ぶっ飛んだ学歴が可能だったのは、フラット化のおかげでしょう。就職先の世界もフラットです。
そういうわけで、私は、公には、フラットな世界を生きる存在として映ることになるのかもしれません。

でも、結局は、act localな部分もあります。
こういうフラット化で、よりスポットライトがあたる部分があるとしたら、「こぼした砂をかき集めるような繊細な人付き合い」とかなんじゃないかなぁ、と思うわけです。一般社会の個々人自体は、そこまでデジタルに最適化されていないので。

フラット化した世界では、オンラインとオフラインのメリットを使いわけ、行動のバランス感覚がうまい人が、世界のビジネスで活躍できる人になれるのでしょう。

書評は後日。

みなさん命名ってどうやるの?

3児の親で(嘘)、
2009年にも新しい娘が生まれる(大嘘)僕としては
どうやって子供にいい名前を付けるのかが現今の課題です。

そんな折、R25でこんな記事を発見しました。
「子供の名前、どうつけてるの?」
http://r25.jp/b/report/a/report_details/id/110000007071

そういえば毎年、生保会社がランキングしてましたね。
年々にモードといいますか、一種の流行があるようです。
10年スパンくらいで眺めてみると、ブームの変遷が明白ですね。

よくある命名法でその時点で光っている芸能人やスポーツ選手にちなむのって、
ご両親が「この子はこんな立派な人物になって欲しい」という思いが
ひしひしと伝わってきてほほえましく思います。
そんな付け方チャラいんじゃね!?のように批判される人もいるようですが、
まぁ害があるわけでなし、最後には趣味の世界なので。

ただ、反社会的なのはどうかと思います。
いつかにあった「悪魔ちゃん事件」のように、大多数の人々が
おぞましいと考える名前はどうあっても付けるべきではないです。
誰かが親による子供のペット化が安易な命名につながっていると批判してましたが、
この例はすでに犯罪です。

そんな中、外来語由来(主に英語)の難読名が観察されているとか。
「月」→らいと(読めん・・・)
「侍大」→じお(ゼ、ゼータガンダム!?)
琉煌」→るきや(る、るこう!?もしくは「ながれこう」!?)
こんな名前の子たちの出席をとる先生方のご苦労をお察しいたします。

さて、新しいモードが一度興ると保守的な方々(とあえて言ってみる)は必ずご批判いたします。
「そんな名前ケシカラン!!!」と。

どんな名前つけようが別にいいとおもうんです。ただ、名前がもたらすメッセージ内容が
反社会的ではないことは遵守すべき条件ではありますが。
ただ、面白いのが新しいモードの言語要素です。
「月」がどうやって「らいと」になるんですか?
文字が本来持つ音韻構造(この場合、月:ツキ、ゲツ、ゲッなど)がまったく無視されています。
この違反は森と書いて「みどり」と読むなどの例が先行的にあって別に珍しくはないのですが、
「月:らいと」はプラス外来語です。
なんという脱構築的視点!現状の命名法に縛られず常に前進しろというわけか!
漢字の意味から「らいと」という読みを導き出して命名したのか、「らいと」という音韻構造になんとなく「月」を当てはめて命名したのか、ご両親に聞いてみないとわからないのですが、
とりあえず前者とすると
「月」っていい漢字だな→月といえば光だな→ひかり、ひかり、ひかり→らいと!!(ピカーン)
もはや詩的ともいえます。ビバ、メタファー!!

ただ、一つ感じたのが、らいとさん/君の由来(であろうと考えられる)"Light"って
英語圏では苗字としては使われても、名前では使われにくいんですが・・・。

My First Time: Version Peter

テストを兼ねて書きます。当ブログのthe 2nd authorです。
Ohana 2009さんとは別人です。ほんとですよ。

まずは自己紹介

名前:Peter
趣味:食べ歩き、旅行、音楽、スポーツ
やりたいなあと思ってること:チェロ、ギター、シベリア鉄道横断
職業:1)英語教師、 2)翻訳業 (今の仕事量は1)>>>越えられない壁>>2)です)
興味のあること:
 <専門分野>
 1)教育学関連
   ・教育工学
   ・幼児教育から高等教育、生涯教育までのカリキュラム・プランニング
   ・比較教育(主に教育先進国vs教育途上国、英語圏vs非英語圏などの二項対立論)
   ・英語教育
   ・第二言語としての日本語教育
 2)言語学関連
   ・応用言語学と批判的応用言語学
   ・社会言語学
   ・言語政策
 3)ライティング関連
   ・ジャンル理論
   ・構造主義的「読み手・書き手」の意識
   ・対照修辞論

 <興味本位で勉強しているけど専門とは恐れ多くも名乗れないもの>
 1)ポスト構造主義とその応用諸理論
 2)ポストモダニズムとその応用諸理論
 3)統計学
 4)金融工学(まだド素人)
 5)物理学(やっとこ大学教養レベル)

 <最近はじめてみました的なもの>
 1)フェミニズム、ジェンダー理論、男女共同参画
 2)科学哲学(とくに現代理系論文の修辞分析)
 3)パブリック・スピーチの分析

『ナンパを科学する-ヒトのふたつの性戦略』

先月、日経新聞に取り上げられていた本である。

ピンクの装丁と、タイトルにナンパがでてくるが、そういう種類の本にありがちな、「恋愛マニュアル本」やフェミニストの意見書ではない。


本書は、進化心理学を主要フィールドとし、文化人類学、発達心理学、環境学、生物学、社会学など、学際的に様々な先行研究をとりいれ、多様な実験から(筆者が行った実験も含む)、男女の性行動のふしぎについて、述べられている。

「どうして、ナンパされやすい女と、されにくい女がいるのか?」

という質問を皮切りに、本書は、男女によって、また、個人差によってわかれる様々な性行動に絡むお題に対し、著者自身の価値観や思想は極力交えず、データからの分析、で挑む。
学際的なアプローチをとりつつも、結局のところ、中心となる分析は、進化心理学の立場からである。

著者自身の価値観は極力交えずとはいうものの、本書の垣間に、著者の考えが見えて興味深い。

「しかし,人間の人格や能力は際限なく環境によって変えることができると信じることは,自由主義的な考えなのだろうか?私にはまったくそうは思えない。」

これまで、男女のもたらす違いや、男、女それぞれの人格などについて、社会学、発達心理学、社会言語学、文化人類学では、そういう差異を作り上げた環境に依拠するところが多いと指摘されてきた。
たとえば、ジェンダー学、女性学が登場した頃も、社会構造や、家庭環境が、女性をどう形成するかに影響してくる、と。

しかし、筆者の研究にも登場するように、近年の進化論的、生物学的アプローチでは、親から受け継いだ遺伝的な要素が深く関わっているとされている。

学際的に文献を引用しつつも、筆者が政治的な理論的枠組みで、男女の違いを語るのを避け、極力、「科学する」ことにこだわっている点は、まともである。

ただし、たとえば、「芸能人になぜ離婚が多いのか」など、チャプターをあえて設けて解説しているにも関わらず、最終的な結論が、推測(assumption)に基づくもので、終わってしまう部分もあり、読後感がすっきりしない部分がある。

また、統計学も、図表でよく登場するのだが、指標、たとえば、*マークが何を表すのか、などが注意書きで記されていないため、統計をしらない読者には、図表がわかりにくいだろう。
1%で有意なのか、5%で有意なのか、進化心理学で最も使われる有意差基準を知るためにも
一般書なのだから、省略せずに、記してほしかった。

しかしながら、使用した統計や変数に関して文章で説明している箇所はあり、具体例をともなっていて、わかりやすかった。

本書は、学際的な研究に興味がある人には、非常におすすめである。専門書に近いが、チャプターやセクションのヘディングは、ナンパ、モテ、芸能人など、大衆の注目を集めるようなフレーズから始まっていて、とっつきやすい。
ジェンダー・セクシュアリティ論(社会学)で、時折見受けられる、”主張(根拠は自分。)”のような議論とは違い、根拠は常に、データをベースにしたものであることも、個人的には読みやすかった。

この本での最終章の結論は、結局は、まだ完結していないということである。
このように、無難なところで、各章の結論を終えているのは、研究論文としては常識的である一方、一般書としては面白くなくなってしまう。
しかし、著者のようにassumptionのまま、話を面白く暴走させずに抑えておくことも、ひとつのストラテジーだと思う。

2009年6月13日土曜日

倉木の英語

倉木麻衣の曲をききながら、更新中。音楽は良いのだが、何かがひっかかる。

高校時代から思っていたのですが、彼女の歌詞は、英語が多い。彼女自身が作詞しているらしい。
当時、宇多田ヒカルと競合していたということが、
彼女の楽曲に英語挿入が多くなっているひとつの理由になるかもしれない。

しかし、残念なのは、聴いてみると、その英語部分が、なめらかな埋め込みになっておらず、
バイリンガルソングにはなっていない。

ここから、彼女がネイティブではないということが推測できるだけではなく、
倉木の場合、[[日本語] + [英語からの借用語]] となって、歌が作られたのではと推測できる。

音声的な特徴だけでなく、英語の部分の歌詞が、英語っぽくない。
学校文法をぬきだしたようなフレーズ、語用論的にも、不可解が残る。
どうして、日本語オンリーで、歌わなかったのだろうと思う。
また、バックコーラスの人を、黒人コーラス女性達でそろえる必要があったのだろうか?

「英語っぽくみせる」ことの、不可解さ。
少なくとも、バイリンガルの私には、理解しにくい歌詞内容となって映る。

それは、英語話者にとっての、英語ではなく、
「英語っぽい何か」として、非英語話者の、value(価値)として使われているようだ。

でも、それで、何がしたいんだろう、とは思う。同じく若者として。
バイリンガルの、「伝えたい感情を、伝えたい言語で伝える」のような機能ではない。

私は親米家だし、フラット化する社会の動向を興味深くみているし、私自身は日本語と英語のバイリンガルだ。
で、だからこそ、あえて、英語使用に関して、ブログでは、厳しくなってみる。

「英語っぽい何か」を、使うことが、商品(ここでは、歌手)のラベル付けになっている。
しかし、その結果、市場の受け手の誰が得をするのだろうか?
松田聖子の、「赤いスイトピー」で、"I will follow you"と歌ってた時代と、何か変わったんだろうか?

2009年6月12日金曜日

ほんでもってそんで

個人的な my (our?) own goals to increase the number of our readers:

・ 特定のトピックにしぼって書く
・ ちょっとカゲキなくらいがウけるらしい。

ひとりの力では、毎日の更新に限界があるので、共同執筆で更新するかもですが、
もう、自由に、ばんばん書いていってくださいな。

教育論、国家政策、恋愛論、俺が俺であるために論、ていうかそもそも感情論、
なんでもどうぞ。

ていうか、I'm a womanだから、俺じゃないねん。。。Y染色体、持ってへんねん。。。
俺なんて言葉、お下品だから、使ったことないねん。
でも、心配ないさーーー(by 大西ライオン)

・・・と、関西弁で口語的に書いてると、90%で、おはながライターだと思います。

あ、というわけで、二回目の投稿も、全然「俺流○○」な内容じゃなく、ダベってしまいました。
完全に、I enjoy blogging like this :)

Bisous,
Ohana

2009年6月11日木曜日

My first time

OK, so let's get started!

I will blog to update my life. So check and find me out here!

...But I don't know what to say...まいごにならぬよう、私が。
So みなさん、follow me and make this website fantastic!

Oh, I guess I should say why this blog is called Ohana (おはな).
It's double-meaning, I shall put:
One means "family and friends" in Hawaiian and the other means flower in Japanese.
It's my favorite wordなんです。

というわけで、お初はここまで。It's like a testね(笑)

Aloha,
Ohana